さやなかなるときをここで...

晴れない日

「今日は何の日だ」
 夜空は、梅雨のうっとうしい曇り空。終電に急ぐ人の額には、皆うっすらと汗。そんな街の流れに逆流するようにいつもの店に入る。
 華菜子さんは、いつもの席にいつもの笑顔で座っていた。しばらくの間は、近況報告。いわゆる他愛のない愚痴の数々が、カクテルと共に消化されていったあとに唐突な一言。
「あ、今日は七月六日だから...」
 彼女の一言に僕は、なにか特別な行事があるのかと考えてみた。
「みて」
 僕が答えを見つける前に彼女は、右手を僕の前に差し出して時計を指さした。
「うん、ああそうか。もう零時をまわったんだ」
「そう、七夕」
 七夕。そう、いわゆる織姫星と彦星のための夜。天の川に引き裂かれた二人が一年に一度、唯一逢うことを許された日。
「小さい頃はね信じてたんだ、七夕伝説。なんかロマンティックであこがれた」
「僕も、信じてたよ。小学校の中学年くらいまで。ほんとにベガとアルタイルが近づくんだって。今持ってる知識では絶対に不可能な事だって割り切れるのに、まわりの同級生に茶化されても信じてた」
 雨が降ってきたよ、と店に入ってくる客がマスターと話している。
「うそ、そのころってもうサンタと七夕の真実ってみんな知ってる年代だよ」
「そう、だけどね実際に知識として恒星や宇宙のスケールがわかるまで信じてた。僕の聞いた話が印象的すぎたんだ。まわりの裏付けのない『常識』よりも説得力があったし、面白かった」
「君らしいといいわけ言うか、なんというか」
 彼女は、マスターにおかわりを頼む。これで四杯目のカクテル。
「ねぇ、どうして。君がそんなにこだわっていたって事は、かなり説得力のある事なんじゃないの。信じた理由。子供の頃とはいえ君のことだからね」
 彼女のあやしむ語尾には、かなわない。話さないわけにはいかない雰囲気を作り出してしまう。マスターもカウンターの向こう側でニコリと笑う。
「七夕って晴れない日で有名なんだよね。年に何度か特異日ってのがあるらしいんだ。毎年、雨ばかり降る日、晴れる日みたくね。実際、七夕が雨の特異日かというとそうでもないみたいだけれどね。子供心に、七夕に雨が降ると織姫星と彦星は天の川が氾濫して逢えないって心配してたんだ。そのときまわりの大人の誰かが、こんな事言って僕に言い聞かせた。
『七夕の日に晴れないのはね、二人が逢うところを見られたくないからなんだよ。二人とも恥ずかしがり屋さんなんだ。雨が降るのは、天に降るのはかわいそうだから地上に降るんだよ。だから、心配しなくていいんだ。きちんと、雲の向こう側で織姫星と彦星は、天の川を渡って逢ってるから。いつか、晴れた七夕に夜空を見てごらんきっと二人ともすましてるはずだよ』
 その一言で、雨の降りそうな夜の庭から僕を家にもどさせたんだ」
 そう、その人は、現実を急激に失望させることなく、知識でもって自分で判断できるまで猶予を与えてくれた。感謝しなくてはならない。
「見えないものはしょうがないものね。そうか、見えないから雲の向こう側も想像できる。ああ、なんか今日は得した気分」

「ロマンティストための夜なんだね、今日みたいな七夕は。実際に見えないことが自分の中でいくらでも想像で見ることができる。目を閉じただけで別の世界が瞬時に開ける人って、なんかうらやましい。私は、時間かかるの助走が必要」
 ひとつの大きな傘の下、少し傘からはみ出て彼女は空を見た。目に雨が入ったのか傘の下に戻ってくると、目をパチパチしはじめた。
「華菜子さんは、『七夕伝説』のお話的部分を信じた。目で見て終わってしまった。もしその瞬間に目を閉じること出来たら違ってたんじゃないかな。僕は、たまたま目をつぶり続ける状態が続いた。晴れない、と言うまぶたがね。それにたまたま良い大人もいた」
 にっこりと笑って、頷く。この上ない笑顔だ。

お名前:
*画像の文字を半角で↓に入力してから投稿してください。