さやなかなるときをここで...

朝のホームで

 空はまだ明るくなっていない、隣のビルの東側が朱色に染められている。
 吹き付ける風が肌を緊張させる、マフラーを鞄にしまい電車に乗る準備をする。ホームは人で埋め尽くされようとしている。対向式ホームの片割れはコートをまとった学生服でいっぱいだ、こちらにまで元気な声が聞こえてくる。
 逆行きの電車が着きでていった、そこには学生服の姿はなく何となくさらに寒くなったような気がした。天気予報は午後からの雨を高い確率で予報していた、空の雲のなさと周りの人のいでたちで長い傘がちょっと恥ずかしくなり始めた。
 ブレーキの音が耳につく。いつもの面子がドアの前にならんでいる、私は一番後ろについた。
 ドアが開いた。
 差し込む朝日が車内を明るくする、車内の電気も消えた。私はドアに寄り掛かり目を閉じた。そこに不意に隣の女性の囁くような小さな声が聞こえた。
「好きです、つきあってください」
 


「ごめんなさ〜い」
 わたしは前を行く人を避けたつもりだったが、鞄は勢い余ってそのまま避けられずに前を行く人にぶつかってしまった。
 信号が青になる、それと同時にわたしは走り出した。お気に入りのバッシュは今日も快調だ、腕に巻き付いたごついG−SHOCKに目を落とすと分針は遅刻せずにすみそうだということを教えてくれた。昨日の晩の友達との長電話とそこでの約束を恨みつつ朝起きられなかった自分に腹を立てながら家からここまで走ってきた。
 あんな約束しなければよかった。その思いで睡眠時間が半分に減り、目覚ましに気がつかない始末。でも決めた、約束は決行しなくちゃって。
 自動改札に定期券を通し階段を上がってホームに滑り込んだ。
 走ったおかげで体は暖かくなった、コートを脱ぎ手に持つ。向かいのホームはガラガラ、いつもなら中学の同級生の顔がちらほら見えるはず。電車が駅に間もなく着くアナウンスが流れる、わたしはいつもの車両のいつものドアの前にたった。ふと隣をみると長い傘を持った綺麗な女性がたっていた。
 またやってしまった、天気予報を見る暇もなく、さらに母親の言葉に耳を貸さずに出てきてしまった。雨、降るのかな...
 そんなことを考えているうちに電車が入ってきた。
 この急行に乗れないと遅刻になってしまう、とりあえずほっとした、時間どうりに電車がやってきた。
 電車に乗り込み自分の位置を確保する、ぎゅうぎゅう詰めまでとはいかないが周りの人と体と体が接触する。そして、ドアが閉まる寸前背中におもいっきり人がぶつかってきた。
「すみません」
 若い男の声だ。睨めつけるべく後ろを振り返る。
 


 私は思わず隣の女の子の顔をじっと見てしまった。
 真剣な眼差しで相手の目を見つめている、その顔には覚えがあった。同じ駅から同じ車輌に乗る子だ。そして彼女の視線の先にある顔にも覚えがある、私と同じマンションにすむ高校生だ。彼はいつも自転車で学校行っているはず、それが今日は電車に乗っている。
 彼は私に気づいたらしく顔を外に向けた。じろじろみているのも気がひけて私は吊り宣伝に目をやった。
 私はふと高校生時代のことを思い出した。体の奥からじわじわと暖かくなる、まわりからみれば頬に赤みがさしているであろう。

 それも冬だった。朝、ささいなことで今は思い出すこともできないが思わぬトラブルが起こりいつもより電車を一本遅いのに乗る羽目になった。私はこの電車が嫌いだった、通勤ラッシュのピークにあたり何度か電車に乗れずに遅刻をしたことがあったからだ。
 なるべく人の少ない列を選んで並び電車を待った。電車が入りドアが開いた、案の定乗客でいっぱいだった。降車客に押し出されるようにドアの前に人の塊ができた。皆一斉に我先と電車の中へ、私は取り残され車輌に足をかけたところで発車のブザーが鳴った。それと同時に聞き慣れた声が私の耳に飛び込んできた。
「遅刻するぞ、乗るんだろ」
 乗ることをあきらめかけていた私に救いの手ださしのべられた。
 その手は強引に私の肩を抱くと私をそのまま車輌の中に引きずり込んだ。
 ずっと好きだった人の腕の中での数分間、なにもいえぬままただ下を向いていた。
 次の停車駅で肩から手はなくなったが、彼の手の温かさは少しだけ残った。
 乗り換えの途中でやっとお礼が言えた、彼の顔は不思議そうな表情だった。

 あれから八年たった、目の前で起きた告白のシーンが私の記憶を呼び覚ました。ただ純粋に恋に恋していたかもしれない、でもそれさえも懐かしい。
 アナウンスが終点を告げ現実に引き戻されかける。停車駅に着く度に立つ位置が変わってしまう、高校時代一度外に出てしまい乗れずに電車が行ってしまったことまで思い出した。私の位置はすっかりあの二人から離れていた。
 電車を降り地下鉄のホームに向かう、前をあの二人がそろって歩いていった。



 約束どうり言ってしまった、「今日顔を合わせたらそれがどこだろうと告白する」なんて約束しなければよかった。
 わたしはじっと目だけみていた。はずかしい、たぶんまわりの人たちはわたしをみてるんだろうと思い視線は動かせない。
「いいぞ」
 急に外を見たらと思ったらその言葉が聞こえた。
 そして、重いけどわたしにとっては嬉しい空気が二人の間に流れたまま電車は終点に着いた。
「もうちょっと場所を選ばないか」
 改札を出て地下鉄のホームに向かう途中やっと沈黙を破って彼が言った。
「だって...」
「まあ、どこでも良いけどね。もしさっき言われなかったら俺が今言ってたかもしれないしね」
 わたしは正直びっくりした、思ってもみなかった展開だ。体温が上がっていくのが実感できる、顔が真っ赤になってる。うれしい...



 私はここのホームで後ろを逆向きに入り出ていく地下鉄に乗っていきたいと思うことがある。不意に何かきっかけがあったら行ってしまいそうだがたぶん私はそのきっかけというやつを気づかぬ振りをして見逃してしまうんだろうと思う。
 この数分の気持ちの揺れは毎日嫌な気はしない、私は自分で仕事をしに行く方の電車を選んでいるのだから。余裕のない日々が続くとそんな気にすらなれず毎日が惰性で過ぎていってしまう。
 今日もまた自分の選択に納得しながら電車に乗り込んだ。



「約束守ったからね」
 わたしは昨日の長電話の相手に自信満々の笑顔と共にそういった。彼女はこくりとうなずく、わたしに自分も約束は守ると言ってそれぞれの教室へと向かった。
 わたしのちょっとした勇気なんて彼女のそれに比べたら何でもないように今となっては思う。わたしとの約束をきっかけにしたかったのかなと思う、耳を英文が通り過ぎながらそんなことを考えていた。

 家に帰り、しばらくすると電話が鳴った、受話器の向こう側では嬉しそうな声が聞こえる。
「自分で選んだよ、誰にもわからなくていい私がきちんとわかってるから」
「そうだよ、先が見える苦労はしがいがあるもんね。それにわたしはすこしはわかってるよ」
「ありがと、思い切って相談してよかったよ」
「わたしも、自分の気持ち伝えること出来たしね」
「それはそうと......」



 目を覚ますと地下鉄は降りる駅を過ぎていた。帰宅ラッシュの地下鉄で珍しく空席があり座ったまではよかったが突然の睡魔におそわれたため。
 次で引き返そう、そう思ったが何かもったいなくなった。
 ちょっとした非日常な時間を楽しもうと心に決めた。そうすると不思議なものであれほど私を苦しめた眠気はどこかにいってしまっていた。
 改札を出て、地上にあがると懐かしい坂道が目の前に現れた。
 高校時代毎日登り下りした坂道だ。地下鉄で駅が過ぎる度に懐かしい気分になっていった、そして停車駅のアナウンスを聴いたとき降りる決心が固まった。
 卒業してほぼ八年、こうして一人で来るのは初めて。私はゆっくりあの頃のことを思い出しながら坂道を上っている。色々な友達の顔が浮かんでは消えた、忘れかけてたり再会してすっかり変わっていた友達のことも思い出す。しかし思考はある一点で止まる、好きだった人のこと...
 足は学校の門の前で止まった。空はどんよりと今にも雨粒が落ちてきそう、街路樹がライトを浴び大げさな立体感を表現していた。
 すでに学生の姿があるわけもなく校舎の一部分に光が射しているだけだ、私は駅の方に足を向けた。そこに私の名を呼ぶ声が聞こえた、忘れもしない声だ私は振り向いた。
「久しぶり、こんな所で何してるんだ」
「よくわったわね、暗いのに...お久しぶりです」
 心臓の鼓動が少しずつ速くなるのがわかる、まっすぐ顔を見ることが出来ない。
「さっき校門の前で突っ立ってたろ、校舎の中から見えたんで走ってきたんだ」
 まわりの街路灯がすべて校門を照らしているから確かに目立つ。
「校舎の中って」
「ここで会議があったの、俺も一応高校教師だから出席してた訳。この近くの高校に勤めているから」
 少し驚いた、それが顔の出たのか彼はみんなそういう反応するんだと言って髪の毛をかき上げた。
 雨が降ってきた。私は傘をさす、彼は鞄の中をのぞき込んだが私に向けた顔は苦笑いだった。坂のちょうど真ん中あたりにある喫茶店まで一つの傘で歩いた。そのあいだに冷え切った体が徐々に暖かくなった。

「こっちに戻ってきてたんだ」
「ええ、支店が新しくできたから地元の人間の方がいいだろうってことで私も」
 コーヒーを少しずつ飲みながら話す。私はまだ彼の目を見ることが出来ないでいる。
「八年ぶりかな、卒業式以来だろ」
 私はうなずきコーヒーを口にする。
 昔話が取り留めもなく続き店は閉店の時間を迎えた。
 雨はやまずいっそう強くなって地面をたたきつけていた。自然と肩を寄せ合い一つの傘の下におさまる。

「今日、進路相談で生徒に『私は私なりの方法で生きていきたい、明日どうなるかわからないから今を精いっぱい生きたいんです。多分そうすることが今の自分を一番好きだって言えることだと思うから』って言われて驚いた」
 何気なく地下鉄で始まった彼の教え子たちの話が急行のこの電車までつづいていた。
「何に驚いたの、別に私たちもあの頃はそんな気持ちどこかに持ってなかったかしら」
 やっと普通に話すことが出来はじめた私は彼の横顔を見ながら言った。
「そうか、そうだよな生徒だと思うからいけないんだよな」
 隣で妙に納得されて私は取り残された気分になった。
「そのこの言いたいこと今凄くよくわかる、私も最近感じるもの」
「そうか、俺は忘れかけてたな、今か....」
 会話は止まり、窓には水滴が横に走る。
 アナウンスが私の降りる駅を告げる、鞄の中から折りたたみ傘を出し彼に押しつけ電車を降りた。不思議そうな顔をこちらに向けていた。

 私はまだ暗い道を駅へと向かっている、東の空は徐々に赤みがさしてきている。マフラーを巻き直して歩調を早める、信号が点滅しはじめた。
 いつもより家を出るのは一時間も早い、これから毎日この時間駅に向かうことにした。
 朝のホームで彼に会うために。

お名前:
*画像の文字を半角で↓に入力してから投稿してください。