さやなかなるときをここで...

冷たい自由と温かい自由

「自由」でありたいのなら「孤独」であればいいんです。

いつも自由のカセになるのは、寂しさから発する様々な感情と言う名の鎖。
見えぬ鎖を断ちきれないまま、楽にそれを求めるから矛盾が産まれる。
そこには悲劇もしくは喜劇しかないんじゃないだろうか。
自由であると言うことは存在していないと同義になってしまう。
そんな冷たい自由は要らない。

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自由という言葉が大嫌いだった。
免罪符のごとくふりかざし、あたかも権利のごとく乱用する。そんな姿を見ていた学生時代。
比較的融通の利く校風だった高校にいました。
高校入試の面接の時にはみな口を揃えて志望動機を「自由な校風」
その時僕は一切「自由」という言葉を使わなかったということで、入学後しばらくしてから、面接官だった先生に覚えてるって言われた。その時に、書いた文章です。
大学の時にこの文章を発掘して続きを書いている。

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「自由」をもとめるのなら「自由」をひろげなさい。

場所、時間、関係を狭めることや条件をつけることで自由を獲得する環境をつくることはできる。
比較して実感するのではなくて、鎖で結びついた人達と共有してこそ、そこで生じるカセを些細なことにしてしまえるのではないか。
互いに巻き込み巻き込まれるそんな温かい自由なら欲しい。

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昨日、場所が引きずり出した記憶のなかに埋もれていたモノの一つ。
ふと、ベットの下のひきだしの中にノートがあるはずだと思って出してきた。
改行とか漢字の使い方は今の僕の書き方。内容は当時のまま。

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