さやなかなるときをここで...

家において出かけよう

 今日は一度も鳴らなかったや。
 私はそう思いながら携帯電話の着信履歴を見る。溜息をつきながら充電器に差し込もうとしたその時、お気に入りのメロディーが携帯電話から流れ始めた。何故かほっとしてしまう、口元が弛むのも自分でわかる。
「あっ、もしもし」
「麻紀、元気」
 耳元で友人の元気な声が私をさらに嬉しくさせる。

 本屋のバイトは自分にあっていると最近思い始めた。始めた頃は働いている割には給料は少ないしレジは立ちっぱなしで疲れたりすることで不満一杯だった。店にやってくる客を見ていると楽しい、それに本がちょっと安く買える事を知ったときはほんとに心の底から嬉しかった。
 外は雨、台風が近づきつつあるらしい。客はまばら、いや私から見る限り客はいない。ただ先輩の潔さんがここぞとばかりに本の補充を一生懸命やっている。
「そう言えばさっき電話鳴ってたよ」
 本を抱いて彼が言った。さすがにレジまで携帯電話はもってこれない、休憩室にある自分のロッカーの中においてある。今日アルバイトにきている女性の中で携帯持ってきているのは私だけだ。それを彼も知っているらしい。
「休憩のときだから三十分くらい前かな」
 彼は私の上にある時計を見ながらそう言った。
「しかしインパクトのある曲が携帯から流れてくるね」
 いわゆる『着メロ』と言うやつ。かかってきた相手によって曲を変えることもでき、私は愛用している。私がどの曲が流れていたか聞く。
「木星だよねあれ」
 ちょっと自信なさそうな顔で潔さんは言った。
「よく知っていますね、思い出の曲なんですよ」
 吹奏楽部でフルート吹いていた高校時代を思い出し堰を切ったように言葉があふれてきた。
「高校時代一番憧れていて先輩が最後に指揮棒を振った曲なんです、あのときの先輩綺麗だったな。木星なら高校時代の友達だ、誰だろ...」
 彼は優しい目をしながら聞いてくれる。雨の中お客さんが入ってきた。私たちは挨拶と共に迎える。それを境に彼はまた本の補充に戻った。

 レジの中を整理して社員の人が来るのを待つ、レジのチェックが終われば今日の仕事はおしまい。
「お疲れさま、風が少し強くなり始めたよ早く帰りな」
 背広にエプロンちょっとちぐはぐな気もするかっこうで店長が階段から下りてきた。
「はいわかりました、お先に失礼します」
 店長に頭を下げ、階段を昇ろうとする。
「タイムカード押してね、最近押し忘れ多いよ」
 階段を昇る足を止めタイムレコーダーのある事務所に向かう。休憩室にタイムレコーダー置いてくれないかなって思いながら歩くスピードを上げる。

 休憩室に入るとすぐに携帯電話を手にした、小さいディスプレイを見るとさっき潔さんに話した先輩からだと教えてくれる。携帯のメールも届いていた、同じく先輩から、メッセージは電話のかけ間違えをわびるものだった。
「誰からだったの、彼」
 バイト仲間の顔は興味津々だ、私は首を横に振り携帯電話を鞄の中にしまう。
「お疲れ、ぐずぐずしてると帰れなくなるぞ。早くした」
 店長が皆を追い出しにかかる。いつもはお喋りしていても換気扇の下で煙草をふかしながら待っていてくれるのだが、さすがにこの天気だと彼も心配なのだろう。
「今日車、乗ってく人。ただし同じ方面のみ」
 潔さんが自分の肩をもみながら休憩室に入るなりそう言った。迷わずに手を挙げる、同時に学校に行っていたことはないが、彼とは中学の先輩後輩の関係に当たる。私の他にも二人名乗りあげた。
「いつもすまん、気をつけてな。あしたは、入ってたっけバイト」
 店長がスケジュール表を見ながら潔に聞いた。
「いえ、明日は。もう一つのほうの...」
「ああそうか、潔も大変やな」
 店長のこういう笑顔は好きだ。時々乾ききった笑顔を見せる、そっちはどうも好きになれない。
 私は家に潔さんの車で送ってっもらうと電話で連絡してから本屋を出た。雨は叩きつけるように降っている。

「潔さんは携帯持たないんですか」
 二人きりになった車で私は聞いた。
「あっちの仕事の時はしょうがなく持ってるけど、会社のだし」
 彼は探偵事務所でもアルバイトをしている、もっぱら人捜し専門らしいが。
「不便じゃないですか」
 車に当たる雨の音がうるさく、話をするのも声を少し大きくしなければならない。
「不便じゃないよ、E-MailとFAXがあれば十分だよ。電話も手紙もいらない。自分の時間を切り裂かれる電話のベルって昔から嫌いなんだ」
 本屋でも彼が電話を取るところをほとんど見たことない、内線がなると渋々出ている感じだ。
「仕事の時はないと話にならないからね仕方なく持ってるけど、あれって人と人との距離を誤解させる道具だね」
「距離って」
 私は見当がつかず聞き返す。
「いや、常に誰かが近くにいる感じにならない、出てほしい人しか絶対でないわけだから安心して電話かける事出来るよね。そうするとさ距離を錯覚しそうで、怖い」
 確かにと思いうなずく。
「でも私はそれが好き」
 彼はそんなものかなと言って長めの髪の毛をかき上げる。

「ただ、かかってこないとなんか不安になることがある」
 しばらくの沈黙の後、私は雨と格闘している会社帰りであろう男の人を見ながら言った。
「便利すぎるのもつまらないよね。俺達が高校生の時なんてポケベルもなかったしね、女の子の家に電話かける度にドキドキしてたからね。最後の一つのボタンが押せなかったり、ワンコールした瞬間受話器置いてしまったり。そのレベルこえた悩みだよね、簡単に連絡取りあえる、だから誰かと常に連絡を取ることで自分の居場所を認識する」
 電話のドキドキは私も経験した。彼の言葉は私の自分で見ないようにしている部分をあらわにする。
「ごめん、ちょっと言い過ぎかな」
 黙り込んだ私に、左折の左後方確認で私の方を見ながら言った。
「ううん、確かにその通りだし」
「誰かのネットワークの中に自分を組み込まないと不安になるのかな、その場所が多いほど安心感も増える。俺は逆に携帯の電源きったあの瞬間がとても安心する」
「やっぱりそんなの信じられない、圏外って表示されるだけでイライラしてる。この瞬間に誰かからかかってきたらどうしようって」
 赤信号、止まって、潔は私の目をじっと見ている。
「今度の日曜日、仲間内でバーベキューやるんだけど来るかい。ただし、携帯家に置いてくるってのが条件なんだけど」
 急に何を言い出すかと思ったら、なぜか急に話す気もなくなり外の雨を何も考えようとしないで見ていた。

 家につくと母親が玄関の外に出て待っていた。手に袋、中はたぶんスイカだろう。ひたすら礼を言い潔さんにその袋を渡す。私は潔さんに頭を下げて母親を家に押し込みながら家に入った。
 扉の外で彼の車の音が遠のいていった。
 食事も済ませ、シャワーも浴び、部屋でくつろいだいると潔さんの誘いが気になって来てしょうがない、バーベキューは確かに魅力、潔さんの仲間は素敵な人がいっぱいいる。最後にひっかかっているのが携帯のこと、そんなに嫌いなのかな。そんなこと考えながら明日の用意をしたり、携帯のメールを友達に送ったりしていた。
 やはりバーベキューは魅力的、携帯からE-Mailをおくった。もちろん送り先は潔さんのアドレス、うちにはFAXがないので彼に連絡をいれるときはいつもこの手段、時々深夜に返事が返ってくる、十二時間以上返事を待ったことはない。私は電話を置いてベットに寝ころぶ、家に雨の当たる音が響き、風の強さを教えてくれた。

了解。朝10:30に車で君の家に行く
材料とかは気にしなくて良いよ
あと携帯は置いていくこと、くどいって?
今回の約束だから、守ってね。

 朝起きると潔さんからのメールが入っていた。
 外は青空、台風は過ぎ去ったあとだ。

 日曜の朝は早起きした、なんか小学生の遠足の時の気分だ。
 昨日買っておいたペットボトルをクーラーボックスに移す、もし誰かが持ってきていても家に持って帰れるものと思ってスーパーで悩みながら下した決断達。
 足音に振り返ると、父親が眠そうな顔で立っていた。私の前を何も言わずに通り過ぎる、冷蔵庫を開けると、持っていけと言って一ダースセットの缶ビールを私の目の前に出した。
「おまえはまだ飲んじゃいかん、それと運転手もな」
 あくびをしながら階段を昇り寝室に戻っていったようだ。
「ああ、おはよう早いね。玄関にスイカおいておいたから持っていきなさいね」
 母親声が洗濯機の回転音の始動共に聞こえた。少し笑いがこみ上げた。

 チャイムの音がして私は外にでた、潔さんに飲み物のことを確かめるとこれから買いに行くという。私はクーラーボックスとスイカを手にして外にでた。
「お、ありがとう。あとでいくらか教えて。きちんとみんなで割るから」
 私が首を振ると、車の中から綺麗な声が聞こえた。
「今回のルールだから、それも」
 私は車の助手席を見ると、息をのむような綺麗な女の人が座っていた。私は少し見とれてしまった。そして、鞄の中の携帯電話を部屋においてこようと思った。

 そして、バーベキュー。
「離れ小島の気分で楽しむべし、日常の煩わしさと決別したこの空間で」
 芝居がかった潔さんの言葉で始まった。

 私をいれて八人、半分は面識のある人だった。職業も年齢もバラバラ、私が一番年下だと思っていたのにそうではなかった、潔さんの交友範囲の広さを改めて知った。
 本当に楽しい一日だった、何も気にせず楽しい時間を過ごせたのは久しぶり。やはり、どこか電話を気にして遊んでいるときでも集中できずにいたみたい。もったいないことをしていたと実感した、かかってくるかどうかわからない電話に気を取られ、目の前の大切な時間を無駄にしていた。そういえば独りでものを考えるって事をあまりしなくなった、何かあるとすぐ電話を握りしめていた。
 便利さに引き込まれて使う立場のはずの機械に振り回されていた自分。少し惨めだ、潔さんはそれを気がつかせてくれた。今日あのまま携帯を持っていったらと思うと背筋に冷たいものが少し走る、私はずっと機械に振り回され続けたのだろう。
「楽しかっただろ」という潔さんの別れ際の言葉に素直にうなずけた自分に安心しながら携帯電話のディスプレイを見る。電話がかかってきた様子はない、溜息はでなかった。
 これからも時々家において外にでようと思いながらベットに寝ころんだ。